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はしりがき

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ゲームにおける焦点とその位置@追記

デッキは、短期戦を想定するか、長期戦を想定するかのふたつの逆向きのベクトルの綱引きの中にあるものだと思う。
いま「短期戦」「長期戦」と書いたが、「5枚のシールドを割って止めを差す早さ」を論じている訳ではない。デッキの勝負所のことである。例えばマナブーストから《ロスト・ソウル》を打って《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》を出すというデッキがあるとしよう。高速ロスソは無論強烈であるし、そうして除去札を奪った上で《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》を出すのは有効な戦略に思える——序〜中盤においては。《解体人形ジェニー》で、あるいは先に《ロスト・ソウル》を打たれて、あるいは事故で、この流れが崩されたとき、このようなデッキはいかなる末路を辿るか。
序盤のうちは5枚の初手がある。手札をマナに置く必要のためこれ以上枚数が増えることはあまりないが、少なくともその地点で必要のないカードを選別してマナに置いているはずだ。つまり、ハンデスを除外して考えれば、「これ以上マナを増やす必要がない」というマナ数(以後「標準マナ数」)に到達する前後のタイミングにデッキの「やりたいこと」ができる可能性は最高値に達する(このタイミングを以下「焦点」と呼ぶ)。先ほどの例——《ロスト・ソウル》《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》——でいえば、先攻3→5→7とすると、5ターン目(手札からマナブーストを加えて7マナとなるターン)までの初手5枚+ドロー4枚=9枚の中に1枚ずつ《ロスト・ソウル》《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》と必要なマナがあればよいことになる。この確率の絶対的な意味での高低はともかくとして、序盤→中盤→終盤と流れる対戦の中のこの7マナのタイミングにおいて「やりたいこと」ができる可能性は最大値をとると言っていいだろう。引きが良くないと回らないようなデッキであっても、このタイミングに焦点を定めて一気に決めればなんとかなる、かもしれない。
その後はどうなるか。このデッキのトップデックはおそらく弱い。中盤以降完全な腐りカードになるマナブーストが、早い段階に確実に引きたいからという理由で大量に積まれ、しかも除去耐性のない《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》をフィニッシャーとしているからだ。《ロスト・ソウル》の後でなければ除去される確率は高いし、cipのように除去されても何かが残るということもない。《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》はやや特殊なパターンだとしても、マナブーストが中盤以降腐るというのは大半のデッキに当てはまる。
このようなマナブーストタイプのデッキが、マナブーストを積んでいないデッキと相対したときのことを考えてみよう。上の話からいって、一般的には、マナブースト側が標準マナ数に達した瞬間およびその後数ターンはマナブースト側が有利であるが、さらにターンが進んで非マナブースト側のマナが標準マナ数に到達すれば腐りカードを多く積んでいるマナブースト側は徐々に不利になっていくことになる。

「短期戦想定」「長期戦想定」という言葉を最初使ったが、やはり据わりが悪いので別の言葉にしよう。
それぞれ「マナブースト型」「コントロール型」にする。

例えば、ナイト。
思えば、あれがもてはやされたふたつの主な使い方——《オープンブレイン》《ソウルアドバンテージ》《ロマノフ》《魔天降臨》と《ヘブンズゲート》——はいずれも《フランツ》で疑似マナブーストしつつ《オープンブレイン》でドロー、その後強力な6マナ呪文が発動できるというのが共通点。ナイトは一見してコントロール向きの種族であるように思われるが、実は赤緑であるサムライ以上にマナブースト向きの種族として跋扈していた。そう、あれは「マナブースト型」のマナブーストデッキなのだ。《フランツ》→《オープンブレイン》が《青銅の鎧》→《ストリーミング・チューター》と重なって見えないだろうか。
となれば、ここにナイトデッキの矛盾が露になる。つまり、「コントロール型」の方を向いた種族であるかのようにデザインされてるが、「ナイト・マジック」の発動のために《フランツ》などを投入してしまえば、結局それはマナブーストの腐りカード搭載の構図と同じことになる。もちろん後半引いても腐らないナイトが存在することは承知しているが、やはりナイトの強みは《フランツ》→《オープンブレイン》にあるのであって、それを抜いてしまったナイトデッキはナイトである必要がなくなってしまう——だからこそ目立ったナイトデッキを見かけない、というのが私の考え。

話が逸れたが、デッキを構築する際には、このようなベクトルを意識すべきだと思うのだ。
焦点に力を結集するのか(マナブースト型)、それとも相手が「焦点に力を結集」してきたものをハンデスで流して長期戦に持ち込みトップデックの差で徐々に押し返していくのか(コントロール型)。思えば《スケルトン・バイス》が強力だったのは枚数と選択権の問題だけでなく、マナブースト側がマナを増やしながら手札を絞ってきたちょうどその頃に手頃な枚数を落とすことができるというタイミングの上手さがあったのではないかと思う。言葉にしてしまうと当たり前というか、平凡だけれども、じゃあ《デモニック・バイス》はあんまり強くないよねとか《バレット・バイス》を使ったナイトが強いとは言われないよねとか《ジェニー》は大流行してるよねとかいう問題には上記の話の流れから即座に回答を用意することができる。すなわち、その地点では相手は、「デッキの中で」最も重要なカードをほぼ確実に握っている。それを落とせるかどうかがかかっているから、どちらが捨てるカードを選ぶのかという選択権は非常に大きな問題になるのだ、と。

「マナブースト型」「コントロール型」のベクトルのうち何をどれくらい配分するかというのは程度問題だから深くは言及できないが、意図した方向に傾けるには具体的にどうすればいいかについて述べることは許されるであろう。
そこで、このふたつのベクトルを分ける事情について整理しておく必要がある。一般的に言って単体のカードを別々に使うよりコンボを狙ったほうが美味しいが、コンボの多くは相互依存の形をとっているから、単体での性能は「単体のカードを別々に使う」前提で組まれたデッキのそれより劣る。(*1)つまり、手札が潤沢な前提ならばコンボの成功率が高いのでそちらを、手札が少ない前提ならば単体のカードを別々に使うほうがいい。どちらの前提に基づいてカードを選ぶか、という対極に位置する事情が「マナブースト型」「コントロール型」を逆向きのベクトルたらしめている。

■マナブースト型
マナブーストにより重くて強力なカードを早いタイミングで叩き付ける、という戦略は王道中の王道。「マナブースト型」という名前も「この方向」に属するパターンのほとんどがマナブースト→重量級カードであることからきている。
しかし名前から誤解を招きかねないのだが、「マナブースト型」の方向に寄ったデッキだからといってマナブーストを積んでいる必要はまったくない。焦点がどこにあるか、というのがここでの本質的な部分だ。例えば《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》から小型クリーチャーを大量展開するデッキは「マナブースト型」に寄ったデッキといえよう。これらは《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》と小型クリーチャーのコンボデッキとみることができ、重要なのは序盤においてこれらのカードの両方が揃っていること。そしてこれらのカードが最も揃う確率が高いタイミング(焦点)はどこにあるかといば、《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》を出した次の自分のターンだ。ここにおいて、このデッキにおける《ミストリエス》《ハッスルキャッスル》と「実際にマナブーストするデッキにとっての7マナ付近のカード」は同じ立ち位置を獲得する。つまり大量展開デッキにとっては《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》を出して、なおかつ次のターンが来るまでに除去されないことが最重要ポイントであり、マナブーストデッキにとっては7マナ付近のカードを打つまでにそれをハンデスされないことが何としてでも守るべきポイントなのだ。
「マナブースト型」の方向に寄せるには「焦点」を過ぎた後のことを捨てて「焦点」においていかに成功するかを考えることだ。大量展開デッキの例なら、《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》を引く確率を上げ除去されないようにする努力を、中〜終盤腐るカードが出てくることをいとわずに行うことがそれにあたる。《ディメンジョン・ゲート》を積むのはその一例と言える。(*2)

■コントロール型
「焦点」が存在しないとか、遅く訪れるという表現になる。山も谷も作らないという方向なので基本的には焦点が存在しないのだが、「マナブースト型」との対比で言うならば焦点が遅く訪れるというふうにも言えないことはない。(しかし、「マナブースト型」「コントロール型」の関係をよりよく理解しようとするならば「焦点は存在しない」という認識のほうが良いのだが)
特徴がないのが特徴というベクトルなのだが、「マナブースト型」との比較によって特徴らしきものを取り出すことができる。「マナブースト型」との対戦において重要なのは「マナブースト型」の焦点で押し切られないようにきっちり耐えることだ。要するに焦点において使いたいカードを使えないようにしてやればいいので、どんな「マナブースト型」デッキにも刺さるものとしてハンデスが極めて重要だ。「コントロール型」の象徴とも言っていいだろう。この戦略においては攻撃クリーチャーを召喚することはあまり重要でない。というのはハンデスを打ってお互いのリソースが少なくなってきた状態で(ハンデスを打つと自分の手札も減るから「お互いに」である)戦うというのが基本的なところだから、《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》などのシールドを攻撃した際のデメリットを帳消しにするクリーチャーが除去されにくく、結果としてフィニッシャーのまわりのお供の必要性が下がるからだ。
「コントロール型」の方向に寄せるには「マナブースト型」のようなカードを積まないこと。つまりコンボを前提としたカードを積まないこと(*3)、序盤のうちしか役に立たない「軽いカード」を積まないことが必要となる。換言すれば「単体で役に立つカード」「重めのカード」となる(ただし、軽くても中〜終盤引いて十分役に立つものであれば問題ない。あくまで一般論としてそうだというだけ)。

繰り返しになるが、両ベクトルの配分バランスがどの程度になるかというのは一概には言えない。しかし、ベクトルの配分バランスを考える前に「どういうベクトルを扱おうとしているのか」「どういう構築をすればどちらに傾くのか」についてより明瞭な理解を得ておくことは十分に有意義なことだろう。
とまあ、ずっとおぼろげながら考えていたことだったのだが、《死皇帝ハデス》を組もうとして考えていたらようやくはっきりしてきたので執筆。


*1
単体でも強いが組み合わせることでさらに大きな威力を発揮する、というような組み合わせもまれにあって、そういうデッキがメタデッキとして力を持つことも多い。

*2
厳密に言えば、大量展開デッキの場合は《ディメンジョン・ゲート》を積むことで《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》からの爆発力が弱くなる可能性もあるから、これはあまり良い例ではないかもしれない。

*3
ここでいうコンボとは「相互依存型」のコンボであって、つまりカードBがなければカードAは意味がないとか、そういうコンボのことを言っている。カードAもカードBも単体で役に立つが、同時に使えばさらに大きな効果が期待できる、というようなコンボはここでの意味ではない。

追記
マナブースト型の性能は、成功パターンを定義して、その確率を求めることでひとつの指標とすることができる。成功パターンをいちいち定義する必要があるが、計算用の関数を作ってしまえば簡単化できるかもしれない。
コントロール型の性能は定義しづらいが、t→∞で近似することで、その状況を多少なりとも理解できるのではないか。
いずれにしても、期待値に頼り過ぎないことが大事。便利な概念ゆえに濫用しがちだが、頼りにするにはあまりにも地盤が脆い。3マナと4マナに到達する確率が半々だからと期待値3.5になるよう3,4マナのカードを半々に積むことが、どちらにも対応できるようにすべて3マナのカードにすることに勝っているとは言えない。

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