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はしりがき

ガラパゴスへよおこそ。

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斜め七十七度の並びで泣く泣くいななくナナハン七台難なく並べて長眺め

某軍事評論家逝去がやばすぎてやばい。
それはさておき。

「私は、デッキ構築理論を書こうと思って…。似たようなものがないか探してみたわ。」
「嫌な予感がしてたのよね!」
「この仕事は、かなりの検索力を必要としたわ。
だけど、とにかく頑張って仕事をしたことで…。
その結果、みごと発見することができたわ!
検索語句を変え、完全一致を駆使していくと…。
いつのまにか、不思議な感じのする言葉に出会ってしまったわ。
私が、その勇気でさらに読み進めていくと…。
みたこともない詭弁が広がっていたわ!
よって今回の仕事は大成功だったといえるわ!」
「この調子でいこうね!」
「今回の仕事の報告結果は、以上よ。

---

「短所を補い、長所を伸ばしましょう」
結局全部じゃねーか。
何のアドバイスにもなってねーぞおい。ああ最初からそんな気はないのか。

「コンセプトを設定しましょう」
なぜコンセプトを設定しなければならないか、について一切記述がねーぞ。なにが理論だオイ。
挙句に「グッドスタッフというのもありますが・・」とかいい加減にしろおい。

「一枚積みをなくしましょう」
一枚積みなんて誰でもやってるが。
超が付くほどの初心者に言うのなら分からなくはないが、しかしカードがないからそうしているというのが彼らの実情ではないのか。
最後の最後に「例外があります」としてマナ回収がある場合この限りではありませんとか何のこっちゃ。そんなんほとんど積んでるって。

「マナカーブを考えましょう」
「マナカーブ」はMTG厨がDMに持ち込んだ概念の中でも最大級の悪弊を撒き散らしていると思う。・・違うな、撤回しよう。「馬鹿馬鹿しすぎて誰にも相手にされていない」「したがって何の害にもなっていない」が正解か。
ともかく「シールドトリガー」(+「ニンジャ・ストライク」)が非常に大きな地位を占めているこのゲームにおいて、マナカーブなんて概念は極めて限定的にしか利用できない。そんなにマナカーブとやらが気になるならハンドサーファーなんざ抜いちまえ。

「~アドバンテージ」
「手札が1枚増えたらハンド・アドバンテージ+1です」「それでは《エナジー・ライト》を使用した場合はどうなるでしょう?」「ハンド・アドバンテージ+2?違います!《エナジー・ライト》の消費分があるので+1ですよ」
だ、か、ら、ど、う、し、た
名前を付けただけで何をいい気になっているのか。
「手札がn枚増えました」から一切何の進展もないんだが自覚しているか?

---

まあ、TCGは根本的に理論化が困難な要因を孕んでいるよなあ。
数ヶ月毎に新しいカードが出るから、それに対して理論は常に先を行っていなければならない。時変理論がどんな目に合うかはゆきみさんの例を挙げるだけで十分だろう。
しかし、その前提だと理論はカードプールに依存できない。つまり、もし○マナで×枚ドローできるカードがあるとすればこうなる、といった形式の理論にならざるをえないのだが、結局「もし○マナで×枚ドローできるカードと△マナで□枚マナブーストできるカードとxマナでパワーyのクリーチャー・・」といったふうに膨大な数の変数を必要とする。さらに特殊効果、ある程度の相手の妨害も入れると、その範囲は非常に多岐にわたる。これは数学的モデルを用いることの困難さを意味する。(この困難さが比較的少ない部分として私が着目し、現在執筆しているところのものが「エンジン基礎理論」である。)
数学のないところに客観性などあるのだろうか。数学を使えないということは「どれくらい」という量的議論が一切許されないことを意味する。量的議論をはじめれば、その先には破綻しかない。
しかし、デッキ構築は確率と按配の世界。何を何枚積むべきかという話なのに、「何枚」の部分は語ること許されない。「何を」についても、他の類似カードより優先すべき理由を追求すれば量的議論に収束するしかない。
一見数学と無縁な文系の学問といえど「統計」という形で数学を用いている例はいくつもあるし、何かの役に立つようにするにはそうするしかないのだと思う。「数学を使わない」かつ「役に立つ」学問って何かあるか?

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