忍者ブログ

はしりがき

ガラパゴスへよおこそ。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

エンジン基礎理論第一章第二節「定義」

これから理論を披露するにあたって、マナブーストカードやドローカードなどの言葉が頻出する。さらに条件を加えて単色マナブースト、3コスト多色マナブーストなどの名称も登場するのだが、より簡潔な表現を用いるほうが便利であるように思われる。
そこで、あらかじめ言葉の定義を一覧できるようにしておこう。


「かつ」とか「or」とか


「または」とか「and」とか

A\B
集合Aのうち集合Bを除いた集合。A\B=A-(A∧B)。途中からは\Bを省略してAとだけ表記してあるので注意。これに従うと本来のAはA+A∧Bという表現になる。

nCm
n個の中からm個を選ぶときの、組み合わせの数。n!/(n-m)!m!である。

N()
枚数関数。()の中にカードの種類が入り、デッキ内の搭載枚数を表す。これは構築時に入れた枚数のことであり、定数である。カードAをx枚引き当ててデッキ内のAの枚数がx枚減ったときにはN(A)-xというふうに対応し、N(A)自体は変わらない。

B
マナブーストカードのこと。数字を頭に付けてコストを表し、細かい条件を表す接尾語を末尾に加える(すぐ下を参照)。たとえば3コストマナブーストなら3B。

D
ドローカードのこと。Bとほとんど同様の使い方。

M
BやDを打つのに必要なマナのこと。B,Dと似たような使い方。特にM=Mmon+Mrai。特定のカード名や種類を末尾に付けて何に必要なマナかを明示する。MG2Bなら緑2コストマナブーストに必要な緑マナ。

mon, rai,dou,tri
単色3コストマナブーストなら3Bmon、多色3コストマナブーストなら3Braiと、語尾に付けて単色or多色を表す。特に二色カードをdou,三色カードをtriと書く。

W, U, B, R, G
左から白、青、黒、赤、緑。緑単色3コストマナブーストならG3Bmon、青多色4コストマナブーストならU4Brai。

tar
target.山札中の目標のカード。複数のtargetを考える場合はtar1,tar2,...のように書く。

all
all.山札中の全カード。特にtarではないカードを指したいときにall-tarと書く。

M2, Mrai12
B=Bdouのとき、必要なマナは二色ある。第一色をM1、第二色をM2とし、M1∧M2のときMrai12と書く。

スキップ、ウォーク
マナブーストによって3→5のようにマナ数を飛ばすことをスキップと呼び、そうでない場合(手札からのマナチャージのみ)をウォークという。


さて、何ターンに何のカードを使うことができるというのはどういうことであるか、定義しよう。その際、「プレイヤーはスキップのために適切な判断をする」という前提が必要になる。
Bが単色(つまりBmon)の場合、仮に「プレイヤーはスキップのために適切な判断をする」という約束を決めれば、「スキップまでに引いたカードの中にBmonとMが含まれている」ことと「スキップが成立する」ことはイコールである。これをパターンの成立条件とすることは素朴で自然な定義といえよう。
Bが多色(つまりBrai)の場合は少し面倒だ。スキップターンまでにBmonを引いてきた場合、それをBmonとして使うか、他のBのためのマナにするかという判断を直前まで保留できる。しかしスキップターンまでにBraiを引いてきた場合、それを他のBのためのマナにするならばスキップターンの1ターン前までに置いておかなければならない。つまり5ターン目に《無頼勇騎スカイソード》を使いたい、今4ターン目で《無頼勇騎スカイソード》を握っているが、マナには白があるのみで緑がなく、他の使用可能なBも持っていない——《無頼勇騎スカイソード》をマナに置いて別のBを引いてくるのを期待するか、握ったまま他のMmonを引いてくるのを期待するか、という問題である。もし「《無頼勇騎スカイソード》をマナに置いて別のBを引いてくるのを期待する」ことが「プレイヤーはスキップのために適切な判断をする」ことにかなうかどうか、すなわちN(Mmon)とN(《無頼勇騎スカイソード》)の大小で場合分けが必要になる(プレイヤーはスキップターンに何を引くか知らないのだから、仮にスキップターンにMmonを引いてスキップが成立するパターンでも「プレイヤーはスキップのために適切な判断をする」という仮定により潰れてしまうため、確率計算の際にはこれを差し引かなければならない)。
結論として、「スキップまでに引いたカードの中にBとそれに必要なマナが適正位置に存在する」を基本的な定義として、「プレイヤーはスキップのために適切な判断をする」という事項(以下、これを「最適判断」という)もあわせて考えることとなる。

ここまでの前提と定義をまとめておこう。

■前提
・次の要素は基礎理論では扱わない。
「相手の妨害」
・プレイヤーはスキップのために適切な判断をする(最適判断の原則)

--

■定義
・あるターンにカードAが使えるということは、そのターンまでに引いたカードの中にAとそれに必要なマナが適正位置に存在し、それが最適判断の原則にかなうことを意味する

PR

エンジン基礎理論第一章第一節「序論」

カードゲームの最大の特徴は、ルールの流動性にあると思う。いや、対戦ルールは不変なのだが、「これだけのカードプールから上手くデッキを組んで対戦する」というところまでを一つのゲームと捉えれば、ゲームのルールは数ヶ月に一度というハイペースで移り変わることになる。
そういう状況で、いかに理論を組み立てるかが難しい。何を拠り所にすればいいのか分からない。どんなカードにも通用するような理論が存在すればいいが、そういう理論は往々にしてうまくいかない。
このような不確定性は、カードプールの変化によるものだけではない。同じデッキでも相手によって(期待値としての)結果が違うし、地域メタや流行などによって相手のデッキの傾向も変わる。
このような二重の不確定性が理論構築に影を落としているのだが、ここまでのカードと実際的な状況を俯瞰して、支柱となりうるものは確かに存在する。
対戦における、序盤のマナブーストである。速攻を除外すれば相手の妨害要素はせいぜいハンデス、ランデスくらいだから、かなり精密な確率計算が通用するし、その妨害要素のうちメジャーなカードは数がかなり絞られる。例えばハンデスは《解体人形ジェニー》《ロスト・ソウル》一辺倒だし、ランデスも数えるほどしかない。亜種はいろいろと出ているが、簡単な分類で十分通用すると言っていい。
それでいて適用範囲が広い。マナブーストを積んだデッキは非常に多く出回っているし、それゆえにマナブーストを積まないデッキにとっても有益な情報となる。
しかし、やはりカードプールへの依存性について警戒しておかなければならない部分はある。そこで全体を「エンジン基礎理論」と「エンジン応用理論」に分け、カードプールへの依存性が少ない部分を「エンジン基礎理論」に、カードプールへの依存性が大きい部分を「エンジン応用理論」に入れることする。
さて、「序盤のマナブースト」とは言ったものの、どこまでが序盤なのかという定義を提案しなければならない。
ゲームにおける焦点とその位置にも書いたのだが、マナブーストデッキは、一般的に、「これ以上マナを増やす必要がない」というマナ数に到達した瞬間にそのデッキのやりたいことができる可能性が最高値に達する。この「峠」までの道のりを序盤と呼ぶことにしよう。この序盤における展開パターンをひとつ決めて、その確率を求める、というのが当面の目標になる。第二章の前半ではそのための強力なツールを提供することになるのだが、如何せん私は「数学的厳密性」というものが苦手だし、誰にチェックしてもらっているというわけでもないので、誤りや穴を見つけたらどうか教えてほしい。
以上

ゲームにおける焦点とその位置@追記

デッキは、短期戦を想定するか、長期戦を想定するかのふたつの逆向きのベクトルの綱引きの中にあるものだと思う。
いま「短期戦」「長期戦」と書いたが、「5枚のシールドを割って止めを差す早さ」を論じている訳ではない。デッキの勝負所のことである。例えばマナブーストから《ロスト・ソウル》を打って《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》を出すというデッキがあるとしよう。高速ロスソは無論強烈であるし、そうして除去札を奪った上で《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》を出すのは有効な戦略に思える——序〜中盤においては。《解体人形ジェニー》で、あるいは先に《ロスト・ソウル》を打たれて、あるいは事故で、この流れが崩されたとき、このようなデッキはいかなる末路を辿るか。
序盤のうちは5枚の初手がある。手札をマナに置く必要のためこれ以上枚数が増えることはあまりないが、少なくともその地点で必要のないカードを選別してマナに置いているはずだ。つまり、ハンデスを除外して考えれば、「これ以上マナを増やす必要がない」というマナ数(以後「標準マナ数」)に到達する前後のタイミングにデッキの「やりたいこと」ができる可能性は最高値に達する(このタイミングを以下「焦点」と呼ぶ)。先ほどの例——《ロスト・ソウル》《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》——でいえば、先攻3→5→7とすると、5ターン目(手札からマナブーストを加えて7マナとなるターン)までの初手5枚+ドロー4枚=9枚の中に1枚ずつ《ロスト・ソウル》《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》と必要なマナがあればよいことになる。この確率の絶対的な意味での高低はともかくとして、序盤→中盤→終盤と流れる対戦の中のこの7マナのタイミングにおいて「やりたいこと」ができる可能性は最大値をとると言っていいだろう。引きが良くないと回らないようなデッキであっても、このタイミングに焦点を定めて一気に決めればなんとかなる、かもしれない。
その後はどうなるか。このデッキのトップデックはおそらく弱い。中盤以降完全な腐りカードになるマナブーストが、早い段階に確実に引きたいからという理由で大量に積まれ、しかも除去耐性のない《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》をフィニッシャーとしているからだ。《ロスト・ソウル》の後でなければ除去される確率は高いし、cipのように除去されても何かが残るということもない。《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》はやや特殊なパターンだとしても、マナブーストが中盤以降腐るというのは大半のデッキに当てはまる。
このようなマナブーストタイプのデッキが、マナブーストを積んでいないデッキと相対したときのことを考えてみよう。上の話からいって、一般的には、マナブースト側が標準マナ数に達した瞬間およびその後数ターンはマナブースト側が有利であるが、さらにターンが進んで非マナブースト側のマナが標準マナ数に到達すれば腐りカードを多く積んでいるマナブースト側は徐々に不利になっていくことになる。

「短期戦想定」「長期戦想定」という言葉を最初使ったが、やはり据わりが悪いので別の言葉にしよう。
それぞれ「マナブースト型」「コントロール型」にする。

例えば、ナイト。
思えば、あれがもてはやされたふたつの主な使い方——《オープンブレイン》《ソウルアドバンテージ》《ロマノフ》《魔天降臨》と《ヘブンズゲート》——はいずれも《フランツ》で疑似マナブーストしつつ《オープンブレイン》でドロー、その後強力な6マナ呪文が発動できるというのが共通点。ナイトは一見してコントロール向きの種族であるように思われるが、実は赤緑であるサムライ以上にマナブースト向きの種族として跋扈していた。そう、あれは「マナブースト型」のマナブーストデッキなのだ。《フランツ》→《オープンブレイン》が《青銅の鎧》→《ストリーミング・チューター》と重なって見えないだろうか。
となれば、ここにナイトデッキの矛盾が露になる。つまり、「コントロール型」の方を向いた種族であるかのようにデザインされてるが、「ナイト・マジック」の発動のために《フランツ》などを投入してしまえば、結局それはマナブーストの腐りカード搭載の構図と同じことになる。もちろん後半引いても腐らないナイトが存在することは承知しているが、やはりナイトの強みは《フランツ》→《オープンブレイン》にあるのであって、それを抜いてしまったナイトデッキはナイトである必要がなくなってしまう——だからこそ目立ったナイトデッキを見かけない、というのが私の考え。

話が逸れたが、デッキを構築する際には、このようなベクトルを意識すべきだと思うのだ。
焦点に力を結集するのか(マナブースト型)、それとも相手が「焦点に力を結集」してきたものをハンデスで流して長期戦に持ち込みトップデックの差で徐々に押し返していくのか(コントロール型)。思えば《スケルトン・バイス》が強力だったのは枚数と選択権の問題だけでなく、マナブースト側がマナを増やしながら手札を絞ってきたちょうどその頃に手頃な枚数を落とすことができるというタイミングの上手さがあったのではないかと思う。言葉にしてしまうと当たり前というか、平凡だけれども、じゃあ《デモニック・バイス》はあんまり強くないよねとか《バレット・バイス》を使ったナイトが強いとは言われないよねとか《ジェニー》は大流行してるよねとかいう問題には上記の話の流れから即座に回答を用意することができる。すなわち、その地点では相手は、「デッキの中で」最も重要なカードをほぼ確実に握っている。それを落とせるかどうかがかかっているから、どちらが捨てるカードを選ぶのかという選択権は非常に大きな問題になるのだ、と。

「マナブースト型」「コントロール型」のベクトルのうち何をどれくらい配分するかというのは程度問題だから深くは言及できないが、意図した方向に傾けるには具体的にどうすればいいかについて述べることは許されるであろう。
そこで、このふたつのベクトルを分ける事情について整理しておく必要がある。一般的に言って単体のカードを別々に使うよりコンボを狙ったほうが美味しいが、コンボの多くは相互依存の形をとっているから、単体での性能は「単体のカードを別々に使う」前提で組まれたデッキのそれより劣る。(*1)つまり、手札が潤沢な前提ならばコンボの成功率が高いのでそちらを、手札が少ない前提ならば単体のカードを別々に使うほうがいい。どちらの前提に基づいてカードを選ぶか、という対極に位置する事情が「マナブースト型」「コントロール型」を逆向きのベクトルたらしめている。

■マナブースト型
マナブーストにより重くて強力なカードを早いタイミングで叩き付ける、という戦略は王道中の王道。「マナブースト型」という名前も「この方向」に属するパターンのほとんどがマナブースト→重量級カードであることからきている。
しかし名前から誤解を招きかねないのだが、「マナブースト型」の方向に寄ったデッキだからといってマナブーストを積んでいる必要はまったくない。焦点がどこにあるか、というのがここでの本質的な部分だ。例えば《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》から小型クリーチャーを大量展開するデッキは「マナブースト型」に寄ったデッキといえよう。これらは《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》と小型クリーチャーのコンボデッキとみることができ、重要なのは序盤においてこれらのカードの両方が揃っていること。そしてこれらのカードが最も揃う確率が高いタイミング(焦点)はどこにあるかといば、《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》を出した次の自分のターンだ。ここにおいて、このデッキにおける《ミストリエス》《ハッスルキャッスル》と「実際にマナブーストするデッキにとっての7マナ付近のカード」は同じ立ち位置を獲得する。つまり大量展開デッキにとっては《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》を出して、なおかつ次のターンが来るまでに除去されないことが最重要ポイントであり、マナブーストデッキにとっては7マナ付近のカードを打つまでにそれをハンデスされないことが何としてでも守るべきポイントなのだ。
「マナブースト型」の方向に寄せるには「焦点」を過ぎた後のことを捨てて「焦点」においていかに成功するかを考えることだ。大量展開デッキの例なら、《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》を引く確率を上げ除去されないようにする努力を、中〜終盤腐るカードが出てくることをいとわずに行うことがそれにあたる。《ディメンジョン・ゲート》を積むのはその一例と言える。(*2)

■コントロール型
「焦点」が存在しないとか、遅く訪れるという表現になる。山も谷も作らないという方向なので基本的には焦点が存在しないのだが、「マナブースト型」との対比で言うならば焦点が遅く訪れるというふうにも言えないことはない。(しかし、「マナブースト型」「コントロール型」の関係をよりよく理解しようとするならば「焦点は存在しない」という認識のほうが良いのだが)
特徴がないのが特徴というベクトルなのだが、「マナブースト型」との比較によって特徴らしきものを取り出すことができる。「マナブースト型」との対戦において重要なのは「マナブースト型」の焦点で押し切られないようにきっちり耐えることだ。要するに焦点において使いたいカードを使えないようにしてやればいいので、どんな「マナブースト型」デッキにも刺さるものとしてハンデスが極めて重要だ。「コントロール型」の象徴とも言っていいだろう。この戦略においては攻撃クリーチャーを召喚することはあまり重要でない。というのはハンデスを打ってお互いのリソースが少なくなってきた状態で(ハンデスを打つと自分の手札も減るから「お互いに」である)戦うというのが基本的なところだから、《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》などのシールドを攻撃した際のデメリットを帳消しにするクリーチャーが除去されにくく、結果としてフィニッシャーのまわりのお供の必要性が下がるからだ。
「コントロール型」の方向に寄せるには「マナブースト型」のようなカードを積まないこと。つまりコンボを前提としたカードを積まないこと(*3)、序盤のうちしか役に立たない「軽いカード」を積まないことが必要となる。換言すれば「単体で役に立つカード」「重めのカード」となる(ただし、軽くても中〜終盤引いて十分役に立つものであれば問題ない。あくまで一般論としてそうだというだけ)。

繰り返しになるが、両ベクトルの配分バランスがどの程度になるかというのは一概には言えない。しかし、ベクトルの配分バランスを考える前に「どういうベクトルを扱おうとしているのか」「どういう構築をすればどちらに傾くのか」についてより明瞭な理解を得ておくことは十分に有意義なことだろう。
とまあ、ずっとおぼろげながら考えていたことだったのだが、《死皇帝ハデス》を組もうとして考えていたらようやくはっきりしてきたので執筆。


*1
単体でも強いが組み合わせることでさらに大きな威力を発揮する、というような組み合わせもまれにあって、そういうデッキがメタデッキとして力を持つことも多い。

*2
厳密に言えば、大量展開デッキの場合は《ディメンジョン・ゲート》を積むことで《ミストリエス》《ハッスル・キャッスル》からの爆発力が弱くなる可能性もあるから、これはあまり良い例ではないかもしれない。

*3
ここでいうコンボとは「相互依存型」のコンボであって、つまりカードBがなければカードAは意味がないとか、そういうコンボのことを言っている。カードAもカードBも単体で役に立つが、同時に使えばさらに大きな効果が期待できる、というようなコンボはここでの意味ではない。

追記
マナブースト型の性能は、成功パターンを定義して、その確率を求めることでひとつの指標とすることができる。成功パターンをいちいち定義する必要があるが、計算用の関数を作ってしまえば簡単化できるかもしれない。
コントロール型の性能は定義しづらいが、t→∞で近似することで、その状況を多少なりとも理解できるのではないか。
いずれにしても、期待値に頼り過ぎないことが大事。便利な概念ゆえに濫用しがちだが、頼りにするにはあまりにも地盤が脆い。3マナと4マナに到達する確率が半々だからと期待値3.5になるよう3,4マナのカードを半々に積むことが、どちらにも対応できるようにすべて3マナのカードにすることに勝っているとは言えない。

誰にも考えつかなかったことなのか、当たり前すぎて言及されていないだけなのか、それが問題だ。

「除去耐性がない大型クリーチャー」を何と呼ぼうか。
《ロマノフ》とか、殿堂したけど《ミストリエス》も例としては優秀。まあ「除去耐性がない大型クリーチャー」でいいや。あとで置換すればいいし。
この「除去耐性がない大型クリーチャー」については様々な言葉で語られている。
「除去されなければ強い」「返しのターンで除去されるから弱い」「囮」「除去されないような状況で出すもの」「強いからこそ返しのターンで除去するんでしょ?」などなど。これらはどれも正解だが、正鵠を得てはいないように思う。一面的すぎるのだ。地球が太陽のまわりを回っていようが太陽が地球の周りを回っていようがそんなことは相対的な問題にすぎない(万有引力の問題はあるけどね)。重要なのは、そのような相対的な関係があることを示すということなのだ。というわけで本題。
「除去耐性がない大型クリーチャー」をデッキにどのような形に組み込むか、がひとつの切り口になる。つまり、「除去を打たれない前提で組み込むか」か「除去を打たれてもいいものとして組み込む」かである。

■除去を打たれない前提で組み込む
「他のカードで除去札を落とした上で「除去耐性がない大型クリーチャー」を出す」というのが基本理念。《ボルメテウス・ホワイト・ドラゴン》は完全にこれ。

■除去を打たれてもいいものとして組み込む
「除去された場合、除去されない場合の両方に対応できるようにする」こと。大型クリーチャーという前提なので、よほど微妙なpigでないかぎり「除去されない場合」はまあそれだけで十分良い状態。つまり「「除去された場合」を考える」と言い換えてしまっても良い。ここに入るのは《パーフェクト・ギャラクシー》《グールジェネレイド》など。

さて、冒頭に《ロマノフ》《ミストリエス》を上げたが、これはどちらに入るのかといえば、組み込み方次第、あるいは構築次第だよねと言わざるをえない。例えば、G0デッキにおいての《ミストリエス》はデッキの中核たる存在なので「囮」としてはありえないが、《ミストリエス》の他に本命——私は金剛修羅に《ミストリエス》を積んだことがあるが——があれば、《ミストリエス》が除去されても「除去札を消費させた」と考えることができる。除去されなければドローができて万々歳だから、どちらに転んでもいいシステムができているということになる。《ロマノフ》についても同様のことが言える。これがナイトデッキに投入された数少ないフィニッシャーだというのであればハンデスを使って安全に運用する必要がある(「除去を打たれない前提で組み込む」の使用法)が、《グールジェネレイド》を組み込んだデッキだというのであれば別に除去されてもいいよねということになる(「除去を打たれてもいいものとして組み込む」の使用法)。つまり組み込み方によって役割がまったく変わってくるのだ。どのような役割を持たせてデッキに入れるのかという問題を全く考慮に入れず、カード単体のごく一面的な部分を取り上げて強弱を論じるのは愚の骨頂である。カードの強弱について論じる際には「どのような役割で使うのか」という前提を明確にしなければ「除去されなければ強い」「返しのターンで除去されるから弱い」・・というようなまったく不毛な議論を生むことになるだろう。

「一を聞いて十を知る」=「最初から十まで知ってたけど、出しゃばりたくないから一を言われるまで黙っていただけ」なのではないか?という疑惑

ttp://chougyuudon.jugem.jp/?eid=654#sequel
に触発されて。

旬が過ぎた感は否めないが、《ファイナル・アンサー》について。
このカードについては、《解体人形ジェニー》と比較することで良い分析が得られる。
基本的には机上論だから、決定的な要素をたったひとつ見逃すことで全体が瓦解する可能性がつきまとうわけだけども、まあ書いてるうちにそういうことも少なくなるだろうということで書く。

■《ファイナル・アンサー》と《ジェニー》
とりあえず情報整理。
□ファイナルアンサーのメリット
・単体で3ターン目に打てる
・呪文である
□ジェニーのメリット
・相手の手札が少ない場合でも効果がある
・クリーチャーである
・ライフから3ターン目に打つことが一応可能

デメリットはこれらの逆。

論点1:基本的にはどちらも序盤に打つことを想定しており、したがって枚数は多くなりやすい。

もちろん中〜終盤に引いてきた場合のことも勘定に入れなければならないが、枚数が多くなりやすいことについては納得してもらえると思う。…というかこの文章の前提なので、納得されない方は回れ右お願いします。で、枚数が多くなりやすいのであれば、《ファイナル・アンサー》と《ジェニー》の選択はデッキの回りに大きな影響を及ぼすとみていいだろう、だからこの議論は有意義なものだろう、という非常に根本的なことが論点のひとつめ。

論点2:「呪文かクリーチャーか」というのが第一の違いだが、特殊な場合を除いて、呪文よりクリーチャーであることのほうが優秀である。

《フェアリー・ライフ》や《青銅の鎧》でも同じことが言えるのだが、たとえばパワー1000と2000の違いは微々たるものだが、クリーチャーであるか呪文であるかの差異は大きい。
シールドを割れる、生け贄に捧げられる、など用途は多い。特に全体火力を持たないデッキにはパワー1000のクリーチャーすら脅威だし、数が揃えば持っているデッキに対しても全体火力の発動を強いることができる(手札1枚分とほぼ1ターン分の得である。また枚数が多くなりやすいので、数が揃えばという仮定も特殊なものではない)。この点で、呪文であることを何らかのメリットに変換するようなカードが入っていなければ、《ジェニー》のほうにクリーチャーとしての優位性があることがふたつめ。

論点3:《ファイナル・アンサー》は3ターン目に打つことができる。《ジェニー》はライフに頼らなければ同じことはできない。

3ターン目のピーピングハンデスはライフジェニーでも一応可能であるとはいえ、確率的には《ファイナル・アンサー》のほうに優位性がある。(*1)さて、ここで、3ターン目にピーピングハンデスが打てることはどの程度の得か、について考える必要があるだろう。3ターン目に落とせて、4ターン目に落とせないカードのうち、デッキのエンジンとなるようなカード——《青銅の鎧》《コッコ・ルピア》など——については果たして《ファイナル・アンサー》で落とす必要があるのだろうか?たとえば相手の初手に《青銅の鎧》《ストリーミング・チューター》とそれに必要なマナが揃っていたとして、3ターン目に《ファイナル・アンサー》で《青銅の鎧》を落とすのと、4ターン目に《ジェニー》で《ストリーミング・チューター》を落とすのにどれほどダメージ差があるのだろうか?(*2)つまり、《青銅の鎧》のようにエンジンとなるようなカードに関しては、《ジェニー》で《ストリーミング・チューター》を落とすように、エンジン自体ではなくそこから繋がるカードを落とすのでもいいじゃん、となるパターンが少なからず存在する。
無論ケースバイケースではあるのだが、この点まで含めて真に「3ターン目に打つメリットがある」と言えるのは、「3マナかつエンジンではないカード」「3マナかつエンジンとなるカードであり、上に書いたように(結局《ジェニー》でも良くない?)とならないようなもの」「2ターン目マナブースト→3ターン目4マナカードを阻止する場合」「4ターン目に他に使いたいカードがある場合」といったところ。前2つについては量的には少ないと私は思うので、後ろ2つがメインになると思う(環境によるし、議論の余地は十分あると思うが)。

論点4:コストを考慮しない、ハンデス性能そのものの比較。ジェニー>ファイナル・アンサーなのは自明として、《ジェニー》と《ファイナル・アンサー》の性能差が小さくなるのは「相手の手札が多いとき」

当たり前のこと。
しかし、最も重要な1枚とその他のカードの価値が釣り合う点を1:2or3としても、結局相手の手札は3、4枚必要になる。これは少し多すぎるのではないか、というのが私の正直な印象。《ファイナル・アンサー》を入れると他のハンデスが積みづらくなり、結果として相手の手札枚数を低水準に保つことが難しくなる、というのはあると思う。

以上を踏まえて。
上記の論点から対立軸を取り出す:
■「呪文であることのメリット>クリーチャーであることのメリット」となるようにデッキが構築されているか
■ハンデスの性能差とターン進行の関係。
序盤:《ファイナル・アンサー》によるハンデスが十分に有意義であれば、早く打てるぶん《ジェニー》より優位
中〜終盤:コスト差は4−3=1程度。コスト差の影響が小さくなるため、純粋なハンデス性能で上回る《ジェニー》優位。《ファイナル・アンサー》を中〜終盤に有効利用するには、論点4に述べた通り、相手の手札を3、4枚と多めに保たなければならないというジレンマに陥る。
→つまり、比較的短期戦を想定するなら《ファイナル・アンサー》が、長期戦を想定するなら《ジェニー》が向いていると言える。

このふたつの軸を表にしてみよう。

  呪文であるメリット>クリーチャーであるメリット クリーチャーであるメリット>呪文であるメリット
短期戦想定 《ラッキー・ダーツ》などを使った呪文中心の即死コンボデッキ ビートダウンもしくはクリーチャー展開型デッキ
長期戦想定 コントロール、除去コントロール系 クリーチャーコントロール

お分かりだろうか?先ほどの説明では別個に「《ファイナル・アンサー》は呪文デッキ向きである」「《ファイナル・アンサー》は短期戦を想定したデッキ向きである」としたのだが、「呪文であることが十分メリットになるようなデッキ構築」で「短期戦を想定」するものはコンボデッキ、特に即死コンボの部類の入ることになる。そして(即死)コンボデッキに《ファイナル・アンサー》のような妨害カードが入る余地があるのか、という問題に収束する。
入るのか入らないのかについてはケースバイケースだろう。3ターン目にどうしても「相手の妨害」を妨害するカードを打ちたいか(現状では《ジェニー》が仮想敵だろう)、それともソリティア的な意味でのコンボ成功率を優先させるかは一概には言えない。ただしここで明確に言えるのは、そのようなレアケースを除けば、【長期戦を想定しているにもかかわらず「中〜終盤に腐りやすい」カードを抱える】【ビートダウンもしくはクリーチャー展開型デッキであるにもかかわらず「呪文である(クリーチャーではない)カードを抱える】のどちらか、あるいは両方の重荷を背負うことになるということだ。

以上を総括して。
□(即死)コンボデッキでないかぎり、《ファイナル・アンサー》は【長期戦を想定しているにもかかわらず「中〜終盤に腐りやすい」カードを抱える】【ビートダウンもしくはクリーチャー展開型デッキであるにもかかわらず「呪文である(クリーチャーではない)カードを抱える】の少なくともどちらかを背負うことになる。
□3ターン目にハンデスしなければならないカードは、「3マナかつエンジンではないカード」「3マナかつエンジンとなるカードであり、上に書いたように(結局《ジェニー》でも良くない?)とならないようなもの」「2ターン目マナブースト→3ターン目4マナカードを阻止する場合」「4ターン目に他に使いたいカードがある場合」といったあたり。私見を混ぜれば、前2つは少ないように思う。
「2ターン目マナブースト→3ターン目4マナカードを阻止する場合」は対《ジェニー》、「4ターン目に他に使いたいカードがある場合」は《レオポルディーネ》の利用といったところか。

*1
ひとつ注意を加えておきたいのは、よほど下手な構築でないかぎりライフはジェニーのためだけにあるのではなく、さらなる後続(ジェニーの後に繋がる、より 高マナ域のカード)も想定して入っているはず。したがってライフジェニーに関する議論はこの「後続」も含めて行わなければならない(たとえば《ファイナ ル・アンサー》と「ライフ→ジェニー」だけを取り上げて手札の消費枚数が違うというような話は意味がない)。

*2
《ファイナル・アンサー》で《青銅の鎧》を落とすのが良いか、《ジェニー》で《ストリーミング・チューター》を落とすのが良いか、と言うと誤解を招くかもしれない。というのは、《青銅の鎧》と《ストリーミング・チューター》は1ターン差(つまり《ファイナル・アンサー》で見る内容と《ジェニー》で見る内容には新しいカード1枚分しか差がない)だから、《ファイナル・アンサー》で《ストリーミング・チューター》を落とす可能性も考慮しなければならない。となれば、たとえば《青銅の鎧》を1枚+《ストリーミング・チューター》を2枚(ただし色マナは他のカードで足りている)という場合には《ファイナル・アンサー》では流れを崩せるが、《ジェニー》では崩せない——というパターンが当然ありうる。もっとも「崩した」とは言っても1ターン遅らせたに過ぎないので、その間に何ができるかという議論は当然必要になるが。

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]